今年は完全に何の制約もないゴールデンウィークだということで随分前からテレビなどでは特集が組まれていた。「県境を越えた移動は自粛」と叫ばれていたあの頃──病原菌に県境もヘッタクレもないのだけど──なんとなく説得力を感じていたのが懐かしい。オイラは平気で禁を破りっぱなしだったけどね。
単に行楽やレジャーに限らず、例えばいろいろな市民活動などもこれまでのオンラインや書面による繋がりではなく、顔と顔とを合わせて行われるチャンスが格段に増えた。教会のことで言えばこの23年度の教会総会を書面決議やオンラインのみにして実施するところはほぼ無いのではなかろうか。コロナ前のように集まって会議をすることが漸く出来るようになったのだ。
先日、関わりのある市民運動の総会を対面を中心に開いた。ただ全国に会員が散らばっているので、必要に迫られてオンラインも併用した。便利だし、移動時間も費用もかからない。それでも十分責任が果たせるのであれば、益々手放せなくなるだろう。
そして実はそれ以上に、会員がこの3年で相当に年を重ねた事実もある。つまり動けなく(動きにくく)なっている。単に高齢になったからだけではなく、会議のために体を運ぶことが様々な面で難しくなりつつあるのだ。市民運動にとってこの3年という月日は、思いのほか長かったということだ。費用対効果に加え時間対効果とでも言うべきか、そういった判断が簡単に入り込むようになった。これはもちろん否定的な面ばかりではない。それでも「3年ぶり」という喜びにちょっとした冷や水を浴びせる効果は十分あった。
それは例えば、幾つもある運動体が発展的に解消する道を開くことになるかもしれない。特にキリスト教では信徒数の激減という背景があり、一人が幾つもの役を担って何とか続いているものがたくさんある。その再考・再構築が焦眉であり喫緊なのだ。
さて、先は見通せるのか、はたまた見えにくくなるのか?